福島ー佐渡疎開キャンプ サポートワークを終えて。

2011 8/5〜8/19の2週間、
福島県伊達市にある「りょうぜん里山がっこう」の呼びかけによる「佐渡 疎開キャンプ」が小木のカルトピアセンターにて行われました。
子ども22名、スタッフ4名からなる、原発震災による心身の療養が目的の合宿です。
私はボランティアの招集と、食事作り、メニューの段取り、買い出し等を担わせて頂きました。


来島一週間前に、内容の全貌を知り、佐渡側の受け入れ態勢が整っていない事実を知り、愕然。
慌てふためき、情報の拡散。それによって、以前から知り合うチャンスを願っていた、NPOしまみらい振興機構の井上由香さんと繋がる機会を得させて頂き、まさか、こんなに濃い〜仕事をご一緒させて頂くなんては、思ってもみませんでした。


キャンプに参加してみての感想は・・・。


楽しかったといえば楽しかった。
だけど、辛かったといえば辛かった。


子ども達の到着最初の一言は「ここ、津波来ない?」「地震来ないの?」でした。


バスに乗り込むまでマスクをしていた子ども達。
宿舎に着いても外で遊ばない子ども達。



「福島で、いつも何してるの?」と聞くと、
「外では遊べないから家の中でゲームしたり、ゴロゴロしてる。」
「うちの芝生はなくなっちゃったよ。3.7まいくろしーべるとなんだってー。」
「へぇー、うちは4.2まいくろしーべるとだよ。」(おそらく事故当初の数値を言っているのだと思います。)
「外に出るときはいつもマスクに長袖着ろって言われるからつまんなーい!」
「プールも中止だし、運動会も中止だし最悪〜!」
「野菜も魚もあんまり食べてないよ。」等々。
「いっぱい外で遊んでおいで!野菜も魚もいっぱい食べられるよ!
おいしい空気吸ってこい!」


・・・胸が痛い。今思い出しても、胸が詰まる。


この子たちは、また福島に帰る。


ある日、福島から「熱中症が相次いでいるようだから、食べさせて。」と桃が届きました。
「なんで福島から桃!?」
そこにいた大人全員がそう思いました。
主催者の方はしばらく悩みました。
親御さんから「せっかく福島を出るのだから、福島産の食べ物は食べさせないでほしい」と言われてきたのです。


持って来られた方は放射線量を測ってきたから大丈夫だと。
「この桃は28ベクレルで、国の出荷基準内です。」とのこと。(国の基準は500ベクレル)


うーーーん。


主催者の判断は、子供たちには食べさせない。
大人には国の基準を伝えて、個々の判断にお任せする。
でした。


これについては様々な意見が飛び交い、私自身も困惑しましたが、
私がここで感じたのは「これが福島で暮らす人々の現状なのだ。」ということでした。
ここでの生活は全般的に慎重に議論され、物事が進められていました。
ですが、皆さんのご厚意などにより、突発的な出来事も発生します。
そのご厚意を無下にすることなく、皆の想いを円滑に進めていかねばならない。
福島にいても、沢山集まってくる情報の中から、自分たちが生き得るためのものをピックアップしていく作業。
きっと、何をするにも、日常以上によく考え、選ばねばならぬのだろうなと。
何をするにも、放射能地震のことが頭から離れない毎日。



毎夜、子どもたちが寝静まる頃、スタッフミーティングが行われました。
子ども達の様子、どんな遊びをし、何に喜び、どんな会話を交わしていたか。
体調はどうか、気分はどうか。事細かく報告し合い、対策を練る。
子ども達一人一人の背景や面持が浮かび上がってくる。
個性が表れてくる。みんな、いろいろだ。


私はここで、なにができるのだろうかと、想いを馳せる。
夜になると、私だけが福島県民でないことに気づかされる。
その一瞬、喉元で言葉が詰まる。


だけどね、だからこそ発せられる言葉があるはずだと思いました。
渦中の外にある、客観的な言葉。
思い切って話し出すと、みんな耳を澄まし、聞き入れてくれました。
「なるほどね〜。そういう見方もあるんだね〜。」って。



これこそが、交流の醍醐味なんだなと。



お昼ご飯を食べているとき、小学3年生の男の子がおもむろに震災当時の様子を私に話しかけてきてくれました。「学校の地面がわれたんだよ!地割れだよ!地面が割れたの。おれ、その時さ、友達が転んで鼻血出ちゃったから保健室連れて行っててさ、先生いないから職員室に行ってさ、先生に話そうとしたらグラグラってきたんだよ。
びっくりして外に逃げたらね、階段が持ち上がっててさ、びっくりしたぁ〜。
・・・地震があってからさ、変わっちゃったんだよね。福島県
全然変わっちゃった。」


彼が悲しい口調で話すので、


「でもさ、福島県変わっちゃったけどさ、そのおかげで今、世界中が変わってきてるんだぜ!
今、福島は世界の福島になってきてるんだぜ!めったにないんだぜ。こんなこと!」
と、言っちゃいました。男の子、嬉しそうに笑ってくれました。



悲しい経験を悲しいだけで終わらせてほしくない。



こんな話をしていると、他の子たちも「うちもねぇ、こんなんであんなんでねぇ・・・」といろいろ話し出してくれました。


震災直後に避難されてきた方々との交流会を開いた時も、
多くの方から「話せてよかった。楽になりました。」との感想を頂きました。
きっと子供たちも、福島にいては話せないこと、あるんでしょうね。
放射能地震にうろたえ、小声で話す大人たちを前に、
子供たちは何を想い、何を感じ、日々を過ごしているのでしょう。


私は子供たちに「生き抜く知恵」を少しでも伝えていけたらいいなと思いました。


草花や食べ物から受けられる恩恵や、笑うことの大切さ、悲しみの心の使い方。
どんな些細な会話の中にも、それらを伝えるきっかけの言葉はあるはずだと思い、子ども達とのささやかな会話を楽しみました。
みな、それぞれに、私の想いを受け取ってくれていたように感じます。



「生きよう」とするエネルギーに満ちた現場でした。


本当はね、みんな、避難してほしい。
そのこともスタッフの方たちと話をしました。
だけどね、今、福島に残っている人たちは、
避難したくても避難できない理由を持ってる人たちなんですって。
その理由は、人によって様々です。


私もこのサポート中、何度か心が揺らぎました。
こういったサポートをすることによって、避難を先延ばしにしてしまっているのではないかと。
本当にこれでいいのかと。


だけど、サポートは、この場限りではないということに気が付きました。
きっと、原発事故が終息するまで、この答えはでません。
ただ、少しづつでも、今を共にし、歩みを寄せ合うことで、信頼を得、一時的な疎開から避難へ向かう、そういった道筋もあるということ。
避難できる人は、もう避難してる。
できないから残ってる。


遠回りかもしれないけれど、こうやって、一緒に過ごす時間の中で、
そのできない理由を見極め、会話し、新たな道を見つけ出すお手伝いができればいいのかなと、
今は思います。主宰の方も同じ想いを抱いていらっしゃいました。


だから是非、次回は親子で来てほしい。
そう願っています。


福島のみんな、佐渡へ来てくれてありがとう。
みんなは、生きる力と勇気と悲しみを、私に伝えてくれました。
これからも、いつまでも、どうぞよろしくです!


今はそんな想いです。


疎開キャンプのブログを載せておきます。
よろしければ、読んであげてくださいね。
佐渡疎開キャンプ ブログ http://sadosadosokai.jugem.jp/